vol.2 自分の子どもが殴られた時、あなたはどうするか?
今日は、次のことを想像して「教育」について一緒に考えてみましょう。
あなたは小学生の子どもを持つ保護者だったとします。
ある日、あなたの子どもが顔に怪我をして帰ってきました。
子ども曰く、「友達Aに殴られた」というのです。
この時、あなたならどんな行動をとりますか?
どんな行動を取るのが“よい”と感じたり、考えたりするでしょうか?
この問いをもたらしてくれのが、以下の書籍です。
こちらの書籍では、例示と共に以下のような方針が綴られています。
大空小学校では、親が(殴られた)自分の子どもと向き合う前に、殴った子と関わるようにしていました。
この方針を聞いて、あなたはどう感じるでしょうか?
自分の子どもの話を聴くことを大切にしようとは考えていたけれど、「自分の子どもを殴った(とされる)子どもと関わることが大切だ!」とはすぐには想起されなかった...という方は多いのではないでしょうか?
☆本日の問い☆
「なぜ大空小学校では、このような方針を打ち立てていたのだろう?」
大空小学校では、「学校に関わる保護者は、学校にいるすべての子ども達にとってのサポーターである」という関係性・文化を普段から築き上げています。
この前提があった上での方針だということも踏まえ、ぜひあなたなりに問いに向き合ったり、問いを発展させたりしてみてください。
以上が、本日のピックアップテーマでした。
あなたの考えたことなど、ぜひコメントで教えてください!
ではまた、お会いしましょう!
こちらの問いをもとに私自身が考えたことなどは以下のnoteにて綴っていますので、よろしければぜひご覧ください!
〈いつもの注釈 : 当メルマガが大切にしていること〉
“よい教育”について考える時、「問いを立てるという行為」にこそ価値があります。
AIなどの発展により、「問い」があれば「答え」を見つけてくれる存在が私たち人間のすぐそばに現れました。今はまだ「答え」が不正確なこともあるかもしれませんが、この精度はどんどん高まっていくでしょう。そして、近い未来にはまるで「ドラえもん」のように、私たちの欲求を叶えてくれる存在になっていくでしょう。
このような未来を想像する時、人間にとって大切なのは「そもそもの問いを見つけること」だということが分かります。「自身の欲求に向き合い問いを見つけること」こそ人間にできることであり、人間にとって自由に生きる営みの土台となるものです。問いが見つかれば、あとは「ドラえもん」と一緒にその問いと向き合い、つくりたい未来をつくっていくことができます。
のび太のように、「助けてドラえもん!」「〜したいよドラえもん!」と表現できる存在。
そんな存在こそ、きっとこれから求められる人間像です。
これは社会的にという観点でもそうですし、一人ひとりが自由に生きていくためという観点に立っても北極星となる人間像だと思います。
この「求められる人間像」を踏まえ、本メルマガでは「仮の問い」を発信するにとどめています。「仮の問い」から、ぜひ「あなただけの問い」を発展をさせてください。そして「あなたのつくった問い」から、素敵な未来をぜひつくっていってください!そんな風に、当メルマガをつかっていただけますと幸いです。素敵な物語があなたを起点に紡がれていくことを、私自身心から願っています。
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