vol.14 ルールを守れない人間は社会にでても通用しません。って本当?
今日は「校則」をテーマに、教育について考えていきましょう。
↓にあるのは、先日X(旧Twitter)でバズっていたポストです。
「髪くらい染めたって周りに迷惑かけなければいいだろ。ブラック校則なんだよ!」という声をよく聞きますが本質を履き違えています。学校はルールを守ることを教える場です。ルールを守れない人間は秩序を乱します。ルールを守れない人間は社会にでても通用しません。
この投稿をきっかけに、以下のような議論が繰り広げられていました。
この議論を見て、あなたは何を感じるでしょうか?
ということで、早速本日の問いです。
☆本日の問い☆
・「学校はルールを守ることを教える場」だという意見に、あなたは何を感じますか?
・「学校はルールを守ることを教える場」→「髪を染めてはダメ」というルールづくりのロジックに、あなたは何を感じますか?
こうした問いに向き合う時に大切になるのが、“よい教育”の定義です。
私は以下の定義こそ、「教育の本質」だと確信しています。(常に検証をし続ける姿勢を持ちながらです。)
各人の「自由」および社会における「自由の相互承認」の「教養=力能」を通した実質化
あらゆる問いと向き合う時には、この本質に照らし合わせ、条件解明的に思考することが大切です。
ついつい私たちは、自身の経験・好き嫌いで教育について語ってしまいがちです。
「何と“よい”とするのか」
この北極星は「ないもの」とされて相対化されてきた結果、声の大きい人や立場が上だとされる人の主義主張で、これまでの教育の方向性は決定をされてきたとも言うことができます。
これって、とっても本質的ではないですよね。
髪を染めることを校則として縛ることは、よいことなのだろうか?
きっとこのメルマガを読んでくださっている方は普段から教育について深く考えられており、「この校則は決してよいものとは言えない」と感じられている方も多いのではないかと思います。
では、たとえば以下だったらどうでしょう?
・鼻ピアスはokなのか
・タトゥーはokなのか
中には、「髪を染めるのはokだけど、鼻ピアスは流石によくないんじゃないか...」と感じられる方もいるのではないでしょうか?
各人の「自由」および社会における「自由の相互承認」の「教養=力能」を通した実質化
この本質に立ち返った時、鼻ピアス/タトゥーはどんな時によいと言え、どんな時によくないと言えるのか。
こうした問いに立て直すからこそ見えてくるものが、きっとあると思います。
ぜひ、あなたなりの考えを深めていただけますと幸いです!
以上が、本日のピックアップテーマでした。
ではまた、お会いしましょう!
僕も髪を染めたいな〜。
〈いつもの注釈 : 当メルマガが大切にしていること〉
“よい教育”について考える時、「問いを立てるという行為」にこそ価値があります。
AIなどの発展により、「問い」があれば「答え」を見つけてくれる存在が私たち人間のすぐそばに現れました。今はまだ「答え」が不正確なこともあるかもしれませんが、この精度はどんどん高まっていくでしょう。そして、近い未来にはまるで「ドラえもん」のように、私たちの欲求を叶えてくれる存在になっていくでしょう。
このような未来を想像する時、人間にとって大切なのは「そもそもの問いを見つけること」だということが分かります。「自身の欲求に向き合い問いを見つけること」こそ人間にできることであり、人間にとって自由に生きる営みの土台となるものです。問いが見つかれば、あとは「ドラえもん」と一緒にその問いと向き合い、つくりたい未来をつくっていくことができます。
のび太のように、「助けてドラえもん!」「〜したいよドラえもん!」と表現できる存在。
そんな存在こそ、きっとこれから求められる人間像です。
これは社会的にという観点でもそうですし、一人ひとりが自由に生きていくためという観点に立っても北極星となる人間像だと思います。
この「求められる人間像」を踏まえ、本メルマガでは「仮の問い」を発信するにとどめています。「仮の問い」から、ぜひ「あなただけの問い」を発展をさせてください。そして「あなたのつくった問い」から、素敵な未来をぜひつくっていってください!そんな風に、当メルマガをつかっていただけますと幸いです。素敵な物語があなたを起点に紡がれていくことを、私自身心から願っています。
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