vol.8 あなたも陥っているかも?教育現場で意外と多い認知バイアスとは?
本日は私自身がいつも意識をしている「行為者-観察者バイアス」をテーマにして「教育」について考えていきましょう。
行為者- 観察者バイアスとは、他者の行動はその人の内的要因に、自身の行動は状況などの外的要因に帰属される傾向のことをいいます。
少し分かりづらいかもしれないので、1つ例を挙げてみます。
〈状況1〉締め切りが決まっていたのに、間に合わなかった...。
→行為者が他者の場合「この人は約束も守れない不誠実な人なんだ(内的要因)」と考えがち。
→行為者が自身の場合「どうしても避けられない急なトラブルがあったから仕方ない(外的要因)」と考えがち。
どうでしょうか?イメージできたでしょうか?
このような認知バイアスは、きっとあなたの日常にも溢れていると思います。
そして、もちろん教育現場にもこのバイアスは現れます。
授業中のある生徒の態度が悪いと感じた時、生徒は「暑いんだもん...」という状況でも、あなたは先生として「この子は集中力のない子」だと認識してしまいがちになることもきっとあります。
また、「行為者-観察者バイアス」でいう行為者に先生がなることだってあります。
あなた自身が担任の先生としてクラスでのトラブルに対応している時、あなたは「〇〇ってことが理由で、このトラブルは起こったな...」などと外的要因に原因を帰属しがちになり、でもその様子をみている保護者は「この先生は上手くクラス運営ができていない人だ」とあなたの内部属性に原因を帰属しがちになっているかもしれません。(なんか嫌ですよね...。)
教育者という立場に立った時、大切なのは「行為者-観察者バイアス」を自覚するということです。
バイアスに自覚ができていたら、ついつい生徒の内的属性に原因を帰属してしまいがちになった時にも、「これはバイアスだ!まずはその生徒の話を聴こう!」ときっと思うことができます。
ということで、本日の問いです。
☆本日の問い☆
・これまで「行為者-観察者バイアス」に陥っていた瞬間はあったでしょうか?行為者、観察者の双方の視点でぜひ考えてみてください。
・ポジティブな側面から「行為者-観察者バイアス」を捉えると、どんなことが言えるでしょうか?
以上が、本日のピックアップテーマでした。あなたの考えたことなど、ぜひコメントで教えてください!ではまた、お会いしましょう!
このメルマガに追加をして私自身が考えたことなどは以下のnoteにて綴っていますので、よろしければぜひご覧ください!
〈いつもの注釈 : 当メルマガが大切にしていること〉
“よい教育”について考える時、「問いを立てるという行為」にこそ価値があります。
AIなどの発展により、「問い」があれば「答え」を見つけてくれる存在が私たち人間のすぐそばに現れました。今はまだ「答え」が不正確なこともあるかもしれませんが、この精度はどんどん高まっていくでしょう。そして、近い未来にはまるで「ドラえもん」のように、私たちの欲求を叶えてくれる存在になっていくでしょう。
このような未来を想像する時、人間にとって大切なのは「そもそもの問いを見つけること」だということが分かります。「自身の欲求に向き合い問いを見つけること」こそ人間にできることであり、人間にとって自由に生きる営みの土台となるものです。問いが見つかれば、あとは「ドラえもん」と一緒にその問いと向き合い、つくりたい未来をつくっていくことができます。
のび太のように、「助けてドラえもん!」「〜したいよドラえもん!」と表現できる存在。
そんな存在こそ、きっとこれから求められる人間像です。
これは社会的にという観点でもそうですし、一人ひとりが自由に生きていくためという観点に立っても北極星となる人間像だと思います。
この「求められる人間像」を踏まえ、本メルマガでは「仮の問い」を発信するにとどめています。「仮の問い」から、ぜひ「あなただけの問い」を発展をさせてください。そして「あなたのつくった問い」から、素敵な未来をぜひつくっていってください!そんな風に、当メルマガをつかっていただけますと幸いです。素敵な物語があなたを起点に紡がれていくことを、私自身心から願っています。
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